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zoom RSS トウショウファルコとの想い出

<<   作成日時 : 2016/03/30 13:11   >>

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トウショウファルコ誘導馬引退式・そして私の近くに「ファルコ」はやってきた

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(写真提供 mamiさん)


 私は、何故か東京競馬場のパドックが大好きだった。
何故ならピカピカのお馬たちを目の前で見る事ができる。
そして、栗毛色で金髪の誘導馬「トウショウファルコ」の姿がこの目に飛び込んできたとたんついつい思わず「ファルコ」と呼んでいた。
そう「トウショウファルコ」は、東京競馬場になくてはならない存在なのだったのである。
 「ファルコ」は、いつも頭を弓形に曲げ堂々と馬たちを誘導して本馬場へと導いていく。
あの凛々しさは、まさに貴賓あふれる姿であった。

 そして、ついにファルコとのお別れの日が来た。
「一九九九年十一月十七日」
誘導馬としては、初めてではないだろうか?。
東京競馬場で「ファルコ」の引退式が行われた。
パドックでは、あらゆる所から「ファルコ」の引退を惜しむかのように声がかかる。
その声に、「ファルコ」は遠くいなないていた。
私は、馬と人とは感情そして言葉をかわせるのもだと思っている。
 
 その後、「ファルコ」は横浜にある「根岸馬の博物館」のポニーセンターへと移った。
それは、私にしてみれば夢にも見ていなかったとてもうれしい出来事であった。
なぜなら東京競馬場では、「ファルコ」をパドック越しにでしか見る事は出来ないが、「馬の博物館」は私がたえず通っている場所であったからだ。

私は、早速「ファルコ」が「馬の博物館」の「ポニーセンター」に移った後、「ファルコ」に会いに行った。
沢山の「ファルコ」のファンが、「ファルコ」の前を囲んでいた。
ちょっと、いつもとは違う感じでまだ慣れない様子で・・・でも「ファルコ」は堂々とカメラを向けるとカメラの方向を向いてポーズを作って誇らしげにしていた。

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(「ファルコ」が根岸にやって来た直後の写真です)               



トウショウファルコとの語らいの中で 

 「ファルコ」が、根岸にやって来てから時間を見つけては「ファルコ」の元に私は行った。
「ファルコ」は一番大きな馬場で、いつも楽しげに遊んでいた。
私が声をかけるといつも駆け寄って来てくれた。
 
 ある日私の父が病を患い横浜の病院に入院をして手術をした受けた事があった。
その時は、二日間私は父の病室に泊まった。
一晩目は、寝ずに付き添い父の看病をした。
そして、二日目に母が病院に来て「私が、付き添うから少し家に戻って寝てきたら?それからまた交代してくれる?」と言われた。
 
 しかし、私が向かった先は実家ではなく病院から車を走らせて20分先の「ファルコ」がいる根岸であった。
「ファルコ」は、いつもの馬場で年配のお世話をしてくれている男性と運動をしていた。
私は、思わず「ファルコ」と小さな声でつぶやくと「ファルコ」は私の元へ走り寄って来た。
「あっ、危ない」と男性の人が言った。
その時「ファルコ」は、私の所まで来ると「どうしたの?」と言う顔を見せ私の顔を覗き込んだ。
男性も私の元へと来た。
私は、「あっ、申し訳ございません、運動中に・・・」 と謝った。
「いやいや、びっくりしたよ。随分なれているんだね」
 
 それから私はその方に色々と「ファルコ」との話をした。
「そうだったんですか、それにしてもうれしいね。ファルコがこんなにも思われていて、あなたには完全に心を許していますよ。馬はね例えしばらく会えなくても6か月は大切な人を絶対に忘れないんですよ。お父さん早くよくなるといいですね。またお父さんが元気になったらファルコに報告しに来てくださいね」
 
 私は、馬と人とは会話ができると信じている。
おでことおでこをくっつけると馬の気持ちが伝わってくる。
そして、馬も人の心を読み取ってくれる。
乗馬をしている時は、たてがみに顔をうずめると馬の気持ちが伝わってくる。
そして、当然馬もその時その時人が何を思っているのか、頬釣りをしたり、おでこを合わせたりしたする事によってお互いに心を通い合わせる事ができるのである。
そして、乗り手の人が馬にまたがった時に全てその背でその人の心の中、体調まで察するのである。
(以前、体調が悪かったにも関わらず乗馬に行っていくら走らそうとしても馬が言う事を聞いてくれない事があった。そして、馬は下馬をする場所までとことこと歩いて行き首を下げ、まるで「今日はもうおりなさい」と私の事を促していたかのようだった)

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(写真提供 mamiさん)
  


トウショウファルとの楽しいひと時
           


 「ファルコ」が根岸のポニーセンターに来てから、私は時間があるとよく足を運んでいた。
ある時は馬仲間と、そしてある時は一人で・・・ある時、「ファルコ」は「子供」が苦手な事に気づいた。
それは、馬友達と二人で根岸に行って「ファルコ」と三人(?)で会話をしている時であった。
 私たちの反対側に、幼稚園児たちがポニーセンターの見物に来て
「あっ、大きなお馬さんだ〜」と言った時、「ファルコ」は、その子達のちょっと、近くの大きな木の下でゴロンと寝転んで昼寝をしだしたのである。
眠くなって寝ちゃったんだ・・・と思っていたら、その子達が去った後、むっくりファルコは立ち上がりおもむろにまた私たちの元へと来てくれた。
そして、また三人(?)での会話が始まった。
にんじんタイムがある日は、その馬友達と朝からポニーセンターに出かけたり、無料乗馬の日にももしかしたら「ファルコ」に乗れるかもしれないと出かけたり・・・
そんな日が、よく続いた。
 一番うれしかったのは、朝一番に「ファルコ」が朝の運動を終えて蹄鉄を履き替えひづめを切ってもらっている時に、
その切ったひづめをもらった時だった。
そして、ピカピカな「ファルコ」の美しい姿を見たときであった。
  あの頃は、私も貴夫人乗りができたらどれだけ幸せかなと思った次第である。

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トウショウファルコとの二人だけの時
 
二〇〇一年頃から何故か体調を崩しだし、翌年の丁度「午年」の春の天皇賞の一週間前に入院をして、手術をした。
そして、その時親しい馬仲間の一人が「ファルコ」のA4サイズにしてくれた写真を持ってお見舞いに来てくれた。
 たまたま主治医の先生が来た時に「ファルコ」の写真を見て「綺麗な馬だね」と言ってくれた。
「馬を見に行けばすぐに元気になるよ」と・・・と
私は、それまでも時々根岸まで一人でポニーセンターの閉館時間の三十分ほど前に「ファルコ」に会いに行っていたのである。
何故ならば、その時間は既に「ファルコ」は馬房に入っていて、一人で退屈に過ごしているからである。
大きなお尻を此方に向けて後ろ向きになっている時に「ファルコ」と声をかけるとすぐに此方を振り返り、私の方に来てくれるのである。
そして、バケツに顔を突っ込んでおどけてみたり私の鼻を自分の鼻でつついたり、口をパクパクして私の前髪をなめてくれたり・・・
楽しい日々を送っていたものであった。
しかし、病気後中々体調が良くならず、以前「ファルコ」をお世話していた男性が言っていた
「馬は、大切だと思っている人の事を半年は必ず覚えてくれているんですよ。」
の言葉が忘れられなかった、早く「ファルコ」に会いに行かなければ・・・六か月を過ぎてしまう。
それに私の主治医の先生も「馬に会いに行けば病気は治るよ」と言ってくれていた。
私は体調は悪かったが、ドキドキしながら一人で閉園真際「根岸公園」へと向かった。
そこにはいつもと変わらず「ファルコ」の姿があった、そして私にも以前と変わらぬ表情で迎えてくれた。
私は、ファルコの前で涙が止まらなくなった。
そんな私を「ファルコ」は何度も何度も顔をすり寄せてくれて、鼻先で私の涙を拭いてくれていた。
私の顔は、「ファルコ」の鼻水とよだれでべたべたなってしまったが、心がすっきりとして・・・
その日は、久しぶりに私の故郷である横浜のホテルで一人過した。

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トウショウファルコとの突然のお別れ

 二○○五年十月二十一日  秋の天皇賞を待たずに、私が大好きだった東京競馬場の誘導馬を勤めたトウショウファルコが永眠した。
そして天皇賞の前二十七日に、「ファルコ」が誘導馬の役目を終え過ごしていた、横浜の根岸にある馬の博物館にてお別れの会が開かれた。
この日は、平日にもかかわらずたくさんの人たちが集まった。
その中の一人は、私であった。
私は喪服姿で、まだ高校生だった競馬を通して知り 合った友人は高校の制服を着て泣き崩れたのをいまだに覚えている。

二人でお線香を一緒にあげた時、高校生の友人はその場から立ちあがる事さえできなかった。
私が、必死に又次にお線香をあげる人が待っていたので腕をささえお互いに泣きながら後ろに下がって行った。
 後ろに立っていた、年配の女性二人が「あんなに泣いて、ファルコの事本当に好きだったんだね」と言っていた。

 実はある時から、私が「ファルコ」の元を訪れるのはいつも悲しい事、苦しい事、辛い事があったときばかりであった。
しかし、「ファルコ」はいつも変わりなく私の心を癒してくれた。
「また何かあったの?また何か悲しい事があったの?」と私の涙を鼻先で拭いてくれていた。
ある時は、優しくそしてある時は励ますように。
 まるで、そのお別れの会のときに「走馬灯」の様に頭の中をぐるぐると回っていたのを今でもはっきりと覚えている。今でもあの冷たい雨の日を私は、決して忘れない。

そして、何故JRAが「ファルコ」の死をすぐに公表しなかったのか?この疑問も未だに残る。
ただ・・・もう二度と私は・・・「ファルコ」と一緒に喜びも悲しみも分け合うことができない。
そういう思いで、心がつぶれかけていたのを覚えている。「ファルコ」がどれだけ私の心を支えてくれていたか・・・その時に作った歌です。
        
金色の翼

あのなだらかな坂を下ると 君はいつも笑顔を見せて 私を迎えてくれていたよね
あの場所に行く時は 心が嘆き悲しみ すさんでいる時ばかりだったよね
そんな私を 君はいつの日も 何度も繰り返し頬ずりをして慰め続けてくれたよね。 
桜舞う 春の日には 花びらに被い尽くされ、暑い夏の日には 木々があの坂に 木陰を作り、
君は いつも  あの場所で私を待っていてくれたのに 今 君は静かに眠る。
大空に虹の橋が 今かかっているよ その橋をゆっくりと 君は登って行く。

雨降る 秋の日には 濡れ落ち葉に被い尽くされ、寒い冬の日には 凍えた私の手を暖め続け
君は いつも  あの場所で私を癒してくれたのに 
今 君は静かに眠る。君の背中に金色の 翼が今付いて 天へと向かって 君は駆けていく。
そして私に最後に生きる大切さを 君は教えてくれた。 

トウショウファルコとの六年ぶりの再会

 二00五年月十月十一日、秋の天皇賞を待たずに私が大好きだった東京競馬場の誘導馬を勤めたトウショウファルコが永眠した。
そして私はその後、何故か「ファルコ」が、それまでいた場所に行くことができなくなってしまった。
その訳は、自分ではよく言い表せない思いがあったからだ。
また、悪い事は繋がるもので「ファルコ」がこの世を去ってから5年後「股関節の大手術」をして走る事も、もう二度と馬にまたがる事もできなくなってしまったのである。

 その様な日々を送っている間にあの「東日本大震災」が起きたのである。
私の心は、地震の恐怖とまたいつあの様な事が起きるのかと言う不安で一杯であった。

 そしてその想いがやっと歩けるようになった私の足がふ「ファルコ」の元へと導いたのである。
当然一人では、行けない。知人に付き添ってもらい「ファルコの眠る根岸公園」へと私たちは向かった。

 リンゴを一つ片手に、そのリンゴをお墓に備えて、手を合わせ、案の定涙が止まらなかった。
いつ何があるかわからない、そんな気持ちがやっと私の心を動かしたのかも知れない。
 今までどれだけ、「ファルコ」が私に力を与えていてくれたか・・・わかったのである。
当時、私の住んでいる所は、この震災で私は被災者でもないのに街全体が沈み込んでいた。
そして、やっと歩く事ができる私は常に携帯の警戒音におびえていた。
 人々の心も・・・実際に被災した人たちは、もっと大変なのに・・・みんな暗い・・・
電車も、地下街も、びっくりしたのは、久しぶりに横浜駅に降り立ったとき、平日でも肩がぶつかるほど、人があふれているのに、がらがらであった。
でもお墓の前で手を合わせている時に、以前のように「ファルコ」からの声が聞こえた気がした。
「大丈夫だよ」って

 六年ぶりの根岸の「ポニーセンター」は、当時より随分変わっていたが「ファルコ」の姿は、この目には見えないが確かにここに、存在している。
 そして、桜の花は満開だった。

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