2020年「甲子園・高校野球交流大会」

 今日から本来なら「今年の春」に行われるはずだった「選抜高校野球」の、「交流大会」が行われた。

私は小学生の頃から「高校野球」の大ファンで、今年の春に「高校球児」と共に涙を流していた。


 当然当時は「今年の夏の甲子園大会」の「地区トーナメント」も行う事も出来ない状態となり、本当にやるせない状態で有った。

一月に「新コロナウィルス」の感染が始まり、「春休みに行われる、選抜大会」の中止が発表され、皆涙にむせていた。

 他の高校生の大会等も中止になるなど、また今年の夏は、本当に今年はある意味「特別な年」となってしまったのである。

しかし「高校野球」に関しては、またその他のスポーツと違う事は、その歴史に有る。

 高校野球(当時は旧姓中学)過去に二回中止された事が有ったので有るが、それは「米騒動の大正7年と、戦局が拡大した昭和16年。」

それだけの、歴史が有る物だったのである(だからと言って私は、そこまで古い人間じゃないよ。私の父・母がギリギリ旧姓中学。男女ともに席を隣にせず時代。)

 偶々私は父が転勤族だった為に、丁度小学生・中学の一年の時まで「大阪・兵庫」に住んでいて、「兵庫」の小学生時代に通っていた「小学校」が、実に「野球」が盛んな学校であった。

 その為、小学時代の「野球でピッチャー」をやっていた同級生が、「報徳学園」のエースピッチャーにまでなり「三年生の時に、兵庫県の決勝戦」で敗れてしまった。

 小学生時代の「文集」には、小学生の時に地区大会で「甲子園」に行った時には、本当に自分が小さく見えた。絶対に高校生になったら「甲子園球場」に行く。と書いて有った(その文集は未だに、私も持っている。)

 それだけ野球が盛んな小学校だったので私自身も、「マイグローブ」を持っており、よく男子とキャッチボールをやっていたものだ。

高校野球もその頃から、よく観に行っていたものだった。

 その後今住んでいる神奈川に帰ってその後もずっと高校野球が大好きで、実家の近くには当時は「神奈川県の決勝戦」を行っていた「保土ヶ谷球場」まで、歩いて15分。

 予選が始まると、毎日の様に予選、決勝戦を観に行っていたものだった。

偶々高校になった頃には、同じ同級生の友達が「横浜高校」のファンの人がいて、「横浜高校」までつき合わされたり、私が「保土ヶ谷球場」の近くに住んでいたので、毎日の様に一緒に行ったりと・・・。

 毎日の様に高校の制服(法政女子高)を着ていたので、保土ヶ谷球場の関係者の人達には有名になっていた。

そして丁度、私が高校二年の時に相変わらず「保土ヶ谷球場」に応援に行っていた時に有名になっていたのが、今回の「神奈川県代表」で出る「東海大相模高校」出身の、今の「巨人軍の監督」「原君」と「森君」だったのである。

試合が終わり当時の二人が「学校のバス」に乘る時に、握手してくれたのが、その二人だったのである(これで、私の年は完全に解ってしまった事に・・・。)

 高校野球に関しては、それ以降も伝説が残る。偶々「星稜高校」の「松井秀喜」に惚れこんだのが、私の次男。

小学生の4年の時に「学校の子供会のソフト部」に入り、何故か一緒に「小学生相手にキャッチボール」。

 「何でお母さんが、それだけキャッチボール出来るの?」から始まり・・・。

今でも、毎年「春・夏」の高校野球を楽しみにしていた私。

 当時小学生の頃は、「大人」にしか見えなかった「球児」が、高校時代には「同じ年代」。

そして今や、どちらかと言えば、早く生まれた孫の様に思えて仕方無かった。

 また長男も次男も色々と小学生時代からスポーツをやっていた為、それを支えて来た「親たちの気持ち」そしてそのスポーツをやって来た「子供たちの気持ち」もよくわかる。

 今日も、涙々で観ていたのであるが・・・。

甲子園の土を踏めたと言う事を、これからの一番の誇りとして、これからの人生を歩んでもらいたい。

 そしてまたまた、大阪では今日も沢山のコロナ患者が出た中で、頼むから皆無事に試合を終えて、帰って来てもらいたい。

そう願うばかりである。







 

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